あなた色に輝いて歩もう

教育関係者の方へセクシャルマイノリティとの向き合い方

堀川コメント教育者の方に限らず、家族・友人・会社関係者の方へ、セクシャルマイノリティとの向き合い方の前提についてお話しをさせてください。
急にカミングアウトをされた時に、受け入れられる方、驚かれる方、嫌悪感を抱かれる方、何ら気にも止めていない方、色々とおられと思いますが、受け入れることができないからといっても、ご自分を咎める必要はありません。私たちは、正直なままで接していただきたいのです(もちろん、罵声を浴びせるなどは言語道断ですが)。
いずれにせよ、気を遣って腫れ物に触るようにする必要もありません。当事者としては、「理解してもらえたら」という気持ちはなくはありません。けれど、個人的には、理解を求めても、100%の理解になるわけではありませんし、そこを追求しすぎれば、互いの関係に溝が生じてしまうことでしょう。
ですから、基本的には「男・女であるからには、こうあるべき!」という固定観念で接されないかぎり、普段の人間付き合いが変わるわけはありません。一般的な倫理感で人としての接し方をしてもらえればよいわけです。きっと僕の発言の中でも、色々思われる方はいると思いますし、「私はもっと理解してもらいたい、傷つく位なら、腫れ物に触れるように接してもらいたい」という方もいるかもしれません。ですから、一個人のお話しにはなりますが、ただ大半、外れていないと思います。
少し話しがそれますが、GIDの方であれば、身体の治療を行うこともあり、その手術に対する本人の意識と理念は高いのかもしれませんが、そこに対して心配の声があがるというのは、ごく自然なことだと思います(実際、松浦も心配なようで、100%ウエルカムと思っているわけではないようですし)。とにかく、普段あなた自身が他人し接しているように接することが、一番だと思っています。

【セクシャルマイノリティの方が何をされたくないのか】

学校教育者にむけて

男女によって「差」が芽生えてしまうのは、元々の身体の作りも違いますし、極自然なことだと思います。なので、どれほど嫌だと思おうが、「差」が芽生えてしまうこと事態は仕方ないということは、当事者自身思い知らされています。

では、何が嫌なのかと言うと「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と言った「男女であるが故の価値観」を押し付けられたくはないのです。学校では、制服にしても男女で区別されることが多くなります。もちろん、例外や特別を認めてしまえば、問題はセクマイについてだけではありませんから、次々と問題が浮上するため、認められないということも、やむを得ないという点はあると思います。
少し極論になりますが、車イスで登校している子に対して、他の子に収集がつかなくなるからと、車イスでの登校は禁止だと言えるのか・・、そして「ズルいから自分も車いすで登校させてくれ」と言う子はいるのか・・、こうしたお話しをしますと、「ケースが違うでしょ」と言われるでしょう。ただ、私が言いたいのは、性同一性障害の子の場合であれば、表面上は何の変哲もないだけに、個人の気持ちの持ち様であったり、ワガママだと捉えられてしまうというのが現状としてありますが、精神的には、想像しうる以上に苦しいという現状にも目を向けていただきたいのです。

保健の授業でも「性」に対するものとなると、やはり男女比にされるわけですが、第三の性や同性愛、GIDに関して学ぶ場合は、また別の扱いになってしまっています。
何故男女の身体の作りや思春期によって訪れる変化の時に、性指向や性自認は人によって違うと言ったような学び方を教えてもらえないのでしょうか?教育機関が、分けた教えをされれば、結果として、セクシャルマイノリティは、特別な存在となり、からかいの目が向けられたり、特別視に繋がっていくのではないでしょうか?

男女とジェンダーではなく、ジェンダーの中には男もいれば女もいて、その中でも性指向は様々にわかれることから、性別も性指向も2つだけじゃない。そんな風に教えてもらうことができたら、きっと自ずと、男、女であるが故にこうであるべきといったような、押しつけはなくなっていくのかなと思います。

「あいつは男だけど女だ」「ゲイだレズだ」という性に関するいじめについて

教育者が、学校で、たとえば「あいつは男だけど女だ」「ゲイだレズだ」というような、安易ないじめを発見した時に、両者へまずどういった話しをすればよいでしょうか。

これについては、教育者からへたに「そういうことを言ってはいけません!」と頭ごなしに言ってしまえば、言ってしまった側も、何故そういうことを言って叱られたのか分からないまま「からかって叱られた」という事実だけが残ってしまい、根本的な解決にはならないと思います。

言われた側も騒ぎが大きくなることを恐れ、より自分自身に嫌悪感を抱いたり、周囲に話すことができなくなってしまうかもしれません。同性愛者やGIDに関しての正しい知識を持っていれば、こうした問題にはなりにくいのでしょうが、起きてしまった以上は、「何故そんなことを言ったのか」ではなく「何故セクシャルマイノリティだと、からかいの対称になるのか」というような、言った子を責めるのではなく、その子自身が「何を思ってそう言ってしまったのか」、そこを気づかせてあげる必要があると思います。

そして逆に言われてしまった側の子には、どういう話をしたらよいか・・ということもありますよね。やはり一度言われてしまった以上、教育者が何を言おうが、言った子が謝ってきたとしても、形式的には許せたとしても、本質的な所では「言われてしまった」という悩みは消えないこと思います。

なお、言われた側と言った子と教育者で話し合いをするのは一側面からすればよいことなのかもしれませんが、ただそれを一概に当時者が求めているわけではありません。なので言われてしまった子に対しては「言ったことに対して許す、許さない」ではなく、実際に学校全体で、行動で示さなければならないと思います(その子をピックアップしてというお話しではありません)。

本件は非常に難しい問題です。家庭でも話せていないケースなど、1人で悩みを抱えているものは数多くあると思います。気軽に相談できる人・場所があるだけで、かなり心が軽くなります。こうした問題に直面した時には、是非ご相談ください。当事者の要求や、解決方法は多種多様です。解決方法を決めつけてしまえば、余計に、その子どもを傷つけてしまうことにもなりかねませんから。

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